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青春を山に賭けて (文春文庫 う 1-1)
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「野宿の日」は2005年に「野宿野郎」が制定した野宿野郎の祝日で、毎年6月、および9月の19日です。理由は「の」+「じゅく」。「の」→「6、9」、「じゅく」→「じゅうく」→「19」。世界中の野宿野郎が前日から野宿をして、真夜中の0時に野宿の日を祝います。 加えて、年末か年始に「忘年会/新年会野宿」、春に「お花見野宿」の年4回がオフィシャル公式日程。その他に不定期、突発的に野宿しています。 未定 第1回「野宿の日」野宿(1) 2005年6月18日(土)〜19日(日) 【会場】 井の頭公園(東京都武蔵野市) 西園横の原っぱ ジブリ美術館の裏あたり この記念すべき第1回目の開催には、ほとんどネット上の告知もないままだったのにもかかわらず、総勢16名の野宿野郎のみなさんにご参加いただきました。 ほぼ定刻にスタートし、たんなる野外飲み会チックなものでしたが、駆けつけていただいた野宿野郎には、H大学の鍋研究会(正式名称まちがってたらごめんなさい)の現役&OB;のみなさんから振舞い鍋をご馳走になりました。ありがとう! マジうまかったです。あったまりました。 ほかにもN大学野宿研究会のみなさん。奈良から来てくれたチャリダーのNさん。ロンジーがとってもお似合いのSさん。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。また来年お会いしましょう!というか9月にまたやるかもです。(本誌3号より転載)
第2回「野宿の日」野宿(2) 2005年9月18日(日)〜19日(月) 【会場】 芝公園(東京都港区) 都営三田線御成門駅近く 編集長女史が野宿するつもりだったけどけっきょく野宿してないチベット野宿旅から帰還されたばかりであったことや、開催日間近まで編集長ご本人が「ほんとにやるんですか−」と必殺のテキトー発言を繰リ返していたため、ネット上の告知もほぼなかったわけですが、開催の迫ったその週末に編集長からの強引なまでのネズミ講式勧誘にのせられた気が弱いのではなく心が優しいボランティア精神あふれる面々が集い、東京タワーの赤いネ才ンを見上げながら聖夜を過ごしたのであります。 開催地が東京タワーの麓になった理由としては、第一回目が井の頭公園のはずれ、ジブリ美術館裏の原っぱだったので、今回は都会のコンクリートジヤンゴーの中でというイメージが編集長の脳内で徐々に膨らんでいたためだと恩われます。当初、「じゃあ六本木ヒルズにしましょうか」と冗談のつもりで言ってみたら、「あーそれ、いいですね、いいですね」とノータイムでその気になっていた繍集長、ほんとに危険なお方です、ああ、この人はセレブスポツト(と書いてて恥ずかしいです勿論)の中心で野宿するという、そのギャップを愉しみたがっているのだ、ドMなのだと痛感したのであります。あわてて軌道修正。だいいちそんな所で野宿をした日には、観光気分で訪れている方々や恋人たちの目障リになってしまいます。野宿野郎の普及を目指すという編集長の大いなる野望を推進するため、ここは人目を避け、しっぽり祝うということと相成りました。 三三五五にわらわらと集合場所である東京クワーの麓、芝公園の一角に集った野宿野郎たち。その場所で私たちはこの聖なる夜をどう祝おうかと逡巡していました。 「編集長、どうしますか」 「どうだっていいです」 「はあ?」 「なんかもうダルイですね、横になっていいですか」 そういえば編集長という人ば、気がつけばすぐに横になってしまいます。東京湾を一周した野宿旅のときにも、電車を待つわずかな時間でもホームに寝転がっておられました。この習性こそが、彼女を野宿道の深みへと潜らせていっているのだと思いました、酒をひと口も飲んでいないにもかかわらず、この日がほとんど野宿初参戦というIT系企業勤務の野宿など似つかわしくない、こざっばりと清潔感あふれる男牲の横にマットを敷いて野宿の素晴らしさを説き、誕生日野宿に陥れるべくボディーブロウを繰り出すように洗脳しています。というかちょっと惚れているのか。編集長もひとりのオンナであったということでしようか。擦リ寄り気味に口説いているようにも見えました。四号の特集テーマを野宿ラブにした、その心はどうやらこういうことであったのです。ひとしきり誕生日野宿の口説きを済ませると満足したのか、編集長は自分で持参した種子島の焼酎をほんのひと舐めし、ほぽ飲めない体質なわけなのですぐにいい気分になってしまい、一番にシュラフに潜り込み、早々と暗閣のなかに溶けていったのでありました。残された野宿野郎たちはおのおのに酒を飲んだり、散歩をしたりして、夏のようなカウントダウンもないままに淡々と過ぎ、気がつけば爽やかな朝を迎えました。 初秋の匂いただよう快晴のもと、ひとまず散開ということで、H大学ナベ派OB&現役の皆さんとIT系企業勤務の野宿ビギナーさんらと別れ、編集長とD道師さん、私の三名は場外市場で朝飯を食おうと築地へと向かったのでありました。しかしどこまでも厭世的なる我々、この日が祝日であるということなどすっかり頭にないまま地下鉄に乗り込みます。駅に着き改札を出て地上への階段をのぽっていくと、どうやら人通りがないなとうすうす感じていたとおり、場外市場はシャッターが閉まった店ばかりで、回転寿司屋が二、三軒営業しているのみでありまして、市場をあてどなくなくぐるりと一周して築地本願寺で解散。見事に盛り下がったエンディングで、次回の「のじゅくの日」野宿の計画など誰も口にしないまま、たらたらと帰路につきました。気が向いたらまた今年もやるかもなかんじです。ぐだぐだなのです。(報告係・もちお) (本誌4号より転載)
第3回 新春寒中焚き火新年会 2006年1月7日(土)〜8日(日) 【会場】 多摩川川原(東京都稲城市) 多摩川原橋近く 場所は多摩川の某所に決めていたが、心配だったのがやはり天気のこと。当然雨ではできないし、前日までに大雨が降っても薪がぬれてしまうからだめで、もし当日晴れたとしても強風が吹くとできなくなってしまう。休みが不規則なメンバーも多いので順延するとまたスケジュール調整をしてもらわなければいけなくなってしまう。一応幹事らしき役を割り振られていたのでちょっと緊張していた。 当日はみごとに晴天になってくれた。寒さは厳しくなりそうだったし、多少風も吹く予報だったが、決行することにした。 集合時間は午後2時〜3時としたので、2時前に現地へ。 テントや炭、自作バーベキューグリル、寝袋、毛布、マットなどをかつぐと結構な量で、現地に徒歩で向っていたら汗が出てきた。 川原のグラウンドにテントを張り、メンバーを待った。 2時過ぎからぼつぼつと到着、ある程度集まったところで薪拾いを始め、3時半ごろにスーパーへ買い出しに。 4時頃、そろそろ日没も近づいて、人数も集まってきたので焚き火点火。 焚き火の場所は川原の砂地のところ。増水時のみ本流が枝分かれして水が流れるところなので、川原の他の部分のように大きな丸石がごろごろしてなくてよい。 正直言って、焚き火とか薪に火をつけるのはあまりしたことがなく、何年も前にキャンプ場でやったきりだったので、うまく火がつくかどうかが不安だった。といって、ファイヤースターター(キャリーではなく着火剤ね)なんかをつかう邪道な方法も嫌いなので、オーソドックスに新聞紙と紙パックでやってみた。今回の焚き火のスタートの形は平行法。枝を川あるいは風の流れと同じ方向に束にして並べた。 枝が乾いていたこともあって、驚くほど簡単に火は大きくなった。薪もたっぷりあったのでどんどんくべていった。 参加メンバーは「野宿野郎」編集長を中心に、「野宿野郎」をあつかう本屋さん、ミニコミ誌編集長仲間、大学の同窓生、「野宿野郎」寄稿者、伝道師の旅の知り合い関係など。北は群馬から南はタンザニアまで、下は小学生から上はその母まで、幅広い人材が総勢15人程度集まった。 料理は焚き火ぶっ込みフォイル焼きが基本で、このウェブログでも紹介した手作りバーベキューグリルも使用した。じゃがいも、サツマイモ、にんにくや、メンバーが持参してくれたサラダや鳥の唐揚げ、リンゴ、マグロ、カルビ肉、さらには燻製キットで作った燻製チーズ、かまぼこなどが振る舞われた。 山ほど集めたと思っていた薪もどんどんくべているとあっという間に少なくなり、メンバーが交代で薪拾いに行かなければならなかった。 焚き火を中心に、薪を集め、薪をくべ、料理を作り、料理を食べ、写真を撮り、談笑するのは結構忙しいということが分かった。いろいろ忙しいので買ってきていた食材も手を付けずそのままになってしまったものも多かった。次回までにうまい解決策を考えねば。 この野宿野郎主催の焚き火新年会の二次会は、もちろん焚き火野宿大会なのである。だからわざわざテントを持ってきているのだ。 0時前には、傍らに置いていたコップの中のお茶の表面に氷が張っていて、気温が氷点下になったことを教えてくれた。 二次会まで参加したものは三名。当然「野宿野郎」編集長、伝道師、もうひとりのミニコミ誌編集長Sさん。Sさんは二次会まで参加するつもりはなかったので、装備なしで二次会まで参加することになってしまった(他二人は一人用テント持参)。 これまでなんどもメンバー交代で雑木林まで薪の補給に行って、火を絶やさないようにしてきたが、夕方からずっと燃やし続けてきたため、さすがに手ごろな大きさの薪がなくなってしまった。日付が変わってしばらくすると薪が切れ、ほとんど消えてしまった。火は消えても8時間以上も燃やし続けていたので大量の真っ赤な熾火があってまだ暖かかった。Sさんは火がなくなってしまうと凍死するかもしれないので最後に残った大きな丸太を燃やし続けようとがんばっていた。 2時頃になると熾火の火も弱まって冷えてきたため、ぼくはテントに避難して眠ることにした。寝袋の他に毛布も持ち込んだのでなんとか眠ることができた。 日が昇り明るくなったころ起床。太陽さえ昇れば直射日光が暖かい。Sさんはもういなかった。太い丸太は半分くらいまで燃えていて、まだ熱が出ていた。編集長に聞くと、一人、外で6時頃までねばって帰宅したそうだ。 8時過ぎ、撤収し解散。 皆さま、お疲れさまでした。また、次回がありましたら参加してください。薪がいっぱい落ちているいい焚き火場所がありましたら教えてください。(伝道師) (ウェブログより)
第4回 お花見野宿大会 2006年3月31日(金)〜4月1日(土) 【会場】 多摩川土手(東京都稲城市) 是政橋近く 一応集合時間は18時だったので、それくらいに行ってみたのですが、1時間待ってもだれも来ないので、少々不安になりました。そんでもって、ものすごく風が強く、寒いのです。 「風邪をひいたから行く気がしない」「ご飯を食べたら動く気がしない」「俺は屋根派」続々と届く野宿辞退のメールにこれは独りかもしれない、と弱気に思い、もう寝て待つしかないと寝袋を出しかけたその時、今回の場所決め係さん・大将氏が勝手知ったるはずなのになぜか道に迷って遅れたといって到着し、その後mixiのフナさんが颯爽とやってきました。 お2人は、さすが野宿野郎。たくましいので、ダンボールを拾い、敷き、布団を拾い、風除けにし、自転車を拾い、トイレに行き、マンガを拾い、今後寒さに耐え切れなかったらこれを火種とすることにし、精一杯居心地のよい野宿空間を作ると、とりあえず飲み始め、野宿話に花を咲かせたり、4号を押し売ったり押し売られたりしてました。 すると、はるばる武蔵野から自転車をこいで4号執筆者さん2人がやってきたり、なんやかんやでにぎやかになってくるではないですか。 そんなわけで、続きを伝道師さんお願いします。(報告失敗者) 風が強く、とても耐えられそうにありません。お正月のように焚火ができる状態でもありません。一応、炭とこのウェブログでも紹介した手作り焚火コンロは持ってきていましたが、全員が暖を取るには小さすぎます。しかし、そこへ車で来てくれていた某氏がバーベキュー台と炭を出してくれました。命の恩人です。さらにバイクで来てくれた某氏がこのウェブログでも紹介したネイチャーストーヴ(大)を持って颯爽と登場。熱源がダブルになって状況はかなり好転、炭が熾れば参加者が持ち寄った食材も酒も温かく食すことができ、宴も盛り上がりました。 その後も参加者は増え、途中帰宅者も出ましたが、う〜んよくおぼえていません、述べ15人程度はいたのではないでしょうか。野宿に挑戦した人も10人を越えていたようです。さらに今回は初めて編集長以外の女性が野宿に挑戦。それも5人もの女性が野宿野郎となりました(うち一名は車中)。 が、ぼくは全く眠れなかったので、日の出の後しばらくして他の野宿野郎が熟睡している中、そそくさと撤収し帰宅し、寝ました。申し訳ない。 朝の様子は再び編集長にレポートしてもらいます。現地のへんしゅ〜ちょ〜!(伝道師) うーんと、火は偉大だ。炭ばんざい。 バーベキューセットばんざい。ネイチャーストーブばんざい。 女子が多いと華やかですばらしい。念願の野宿合コンも夢ではないのではないか。 そんなスバラシイ宴も、さわやかな朝の光の下、いざ起きて眺めてみると、ひっちゃかめっちゃか、なんだかひどい有様であり、朝方の寒さにめげた人が数人帰っていたり、ぶるぶる震えている人がいたり、宴中何度も転げて肩を打撲のようなものしている人がいたり、爆睡している人がいたりと、あら、まあ、野宿いろいろ、なのでした。 そんでもって、犬の散歩やら朝のお散歩やらする人々に邪魔になってはいかんと、のらくら片付けて、なんとなくお開きになり、次は「のじゅくの日(6月18日〜19日)」にまた会おうと固い誓いを交わしつつ、野宿野郎どもは四方八方に散ってゆきましたとさ。ちゃんちゃん。(投げやり報告者) お花見野宿の夜、本誌寄稿者の一人であるMさん(だったかな〜?)の誕生日が明けた次の日であることが判明。午前0時にみんなで心から祝いました(プレゼントはなし)。お花見野宿に誕生日野宿もプラスされて2倍お得でした。(伝道師) (ウェブログより)
第5回「野宿の日」野宿(3) 2006年6月18日(日)〜19日(月) 【会場】 代々木公園(東京都渋谷区) 第6回 野宿バー in 銀座東 2006年7月28日(金)〜29日(土) 【会場】 勝ちどき橋のそばの川っぺり(東京都港区) ブログの告知を見て来る人なんかどーせいないだろう、とのやけっぱち行動でしたが、実は1人いらして、申し訳なかったのです。ゴメンナサイ。でも、なんと、まー、たどり着いていただけたので、タイヘンによかったです。 バー(というか野宿地)では、ロングトランクス・ルーパーと瞳孔・北海道自転車旅・水虫飲み薬・ユースホステルの昨今など、話題は多岐にわたり、なにがなんだか判らず、銀座土建屋さん同士の名刺交換会・靴の匂いコンテスト・通る屋形船に声援を送る・タバコに火をつけ合うバーゴッコ・夜中、早朝の築地市場の観察など、皆様の行動も、ちょっとよく判らない感じで、なかなかによかったです。 野宿者は総勢8名。内スーツ着用者2名・ご新規様3名で、今回の隠れた目標であった「スーツで野宿」「野宿野郎の新規獲得」などが達成されて、ばんばんざいでした。 みなさま、ありがとうございました。 秋にまたどっかでやります。宜しくです。 (ウェブログより) 第7回「野宿の日」野宿(4) 2006年9月18日(月・祝)〜19日(火) 【会場】 高尾山山頂(東京都八王子市) 第8回 緊急青春企画・あの土手で金八野宿! 2006年10月28日(土)〜29日(日) 【会場】 荒川川原(東京都足立区)
第9回 新春寒中焚き火新年会野宿 2007年1月13日(土)〜14日(日) 【会場】 多摩川川原(東京都日野市) この「野宿野郎」オフィシャル公式行事は、この前の週の6日(土)に計画されていたものだが、雨で流れ延期されたもの。 当日、待ち合わせの某駅改札口前に着くと、来ているのは今回初参加の友人のみ、しばらくして「約束の時間から30分以内に行くのは大変失礼なことである」という座右の銘を持つ編集部もちお氏が、多分先週の延期の知らせを受け取ってなくて1週間遅刻でやって来る。しかし待ち合わせ時間になっても他の参加者はやってこなかった。 まあ、だいたいうちの参加メンバーには、時間通りに来ようなどというなめた考えのニンゲンは少ないので、しばらく待った後出発したのだが、幹事たるぼくは今回少々心配していることがあった。 とりあえず駅前のスーパーマーケットで食料などを買い込み、現地の多摩川川原へ行く。現地までの道のりのあいだにもちお氏より早くも「これは分かりにくい…」という懸念が発せられた。 そう今回の焚き火新年会の会場である多摩川川原は、去年の稲城市某所から変更になっていた。前回の会場には今回焚き火するための薪が少なかったためだ。寒中新年会には「焚き火」が大きな比重を占めているので、薪が潤沢に落ちている場所でないと会場にできず、今回事前に調査してみたところ、前回盛大に焚き火ができた場所にはあまり薪がなく、会場を変更せざるを得なかったのだ。 多摩川を自転車で走り回った末、なんとか薪だけは山ほどあり、周りに人家もほとんどない今回の会場をみつけたまではよかったが、少々瑕疵がないわけではなかった。 まず、近くに水道もトイレもない。焚き火で料理をし、女性参加者もいるため、最初このことは大きな問題に思えたが、今回の新年会は水とトイレより薪が重要ということで、考えないことにした。 もうひとつは、会場が少々わかりにくいということである。まず最寄り駅から川原に出る道順からして分かりにくい。距離はたいしたことないのだが、多摩川を渡る橋に通ずるメインの道からは土手道に下りられず、近道をしようとすると、工場などに阻まれて道がなく回り道を強いられる。そして、首尾よく土手道に出られても広い河原の中の会場と土手のあいだに雑木林があり土手から会場がよく見えず、土手道から会場へつづいているのは踏み分け道のみという悪条件だった。さらにすぐ近くに多摩川に流れ込む支流があり、そちらの川原と間違う可能性もあった。 ついでにいえば、幹事であるぼくは「悪魔の無線連絡器械」を持っていないので、家を出てしまったら少なくともぼくとは連絡をとる方法はないのだった。 そのため、事前に少々場所が分かりにくいぞということ、遅れた場合は自力で会場にたどりつかなくてはならないことを周知してしておいたのだが、結局、集合時間に集まったのは3名のみだった。 会場に着くと、ゴルフを練習しているおっさんが一人いたが、もう日暮れ時であったので、すぐにいなくなり、まわりは我々だけになった。会場である多摩川川原の周りにはほとんど人家がなく、川原に出てしまうとほとんど人にわずらわされることのないことも、今回の会場にいいところだった。 とりあえず準備を開始する。事前に下見をしておいた場所にまだちゃんと薪の山があった。土手沿いに並ぶ木を枝落とししたものを集めたものらしく、かなり前に切り落としたもののようでよく乾いている。川原へとはこぶ。 点火。ここで再び、もちお氏から懸念が発せられる。 「ちょっとやばくないすか?」 この時点で少々風が強くなっており、火の粉が飛び出したのである。会場は広場になっているが、その周りは枯れ草で囲まれており、それなりの距離はあるが、万が一ということもある。この何日か前、自転車で下見に出かけたときにも、多摩川の別の場所で川原が黒焦げになって消防車が出動している現場を見ている。 「一度火が付いちゃったらアウトですよ」 もちお氏は小学生時代に海辺の広場の枯れ草を一面黒焦げにして、こっぴどくしかられたというトラウマを抱えており「やばくないすか?」を繰り返した。 とりあえずあまり火を大きくしないことにして様子を見ることにした。 このへんで編集長登場。編集長が自力で会場にたどりついてくれたので幹事は大変意を強くした。あの「地図を読めないオンナ」で有名な、遅刻の理由の半分は「道に迷った」でおなじみの編集長がたどりつけるなら大丈夫だろうと。 その後も、なんとか自力で会場にたどりつく参加者が次々と現れたが、やはり例外なく多少は道に迷っていた。ただでさえ分かりにくいのに、日が沈んで暗くなってしまうと川原周辺はさらに分かりにくくなってしまうのだ。唯一の利点は暗くなれば焚き火は多少目立つことなのだが、川原と土手道の間の雑木林が焚き火の光りを遮ったりもしていた。 幹事のぼくが「悪魔の無線連絡器械」を持っていないということで、必然的に連絡は編集長のケータイにかかってくるのだが、「地図を読めないオンナ」の道順説明は、事態を好転させているとは言い難かった。20分、30分迷うのは当たり前という状態に、少々罪悪感を感じはじめていたところ、ついに恐れていたことが起こってしまった。 5号の表紙でもおなじみの大将氏から場所が分からないと連絡があり、何度も応答を繰り返したのだが、彼はあいかわらず場所が分からず、こちらは彼がどこにいるのかわからず。彼は彷徨をつづけ、ついにギブアップ! 携帯の電池も切れ、怒って帰ってしまった。「天は我々を見放した〜!!」といったとか、いわなかったとか…(この場合の編集長は三国連太郎)。 さらに仕事が終わった夜遅く駆けつけてくれたもう一人も「死の彷徨」の末に帰ってしまったときには、幹事は罪悪感でいっぱいになってしまいました。 でもちょっと必死で言い訳すると、少々分かりにくい場所だと断って、グーグルマップの地図は送ったし、ケータイの人にもヤフーのケータイ対応の地図を送ったのです。これ以上どうすればよいのでしょう。GPSケータイがもっと普及すればいいのかな(ちなみに今回の某所は東経139度25分51秒、北緯35度40分1秒です)。 結局、「死の彷徨者」2名を出しつつも新年会は続き、参加者はのべ11人(だったかな)になった。 料理の基本はぶっこみフォイル焼きと鉄串による直火焙り焼き(キノコ、野菜、鮭、ホタテ、ソーセージ、肉、マシュマロなど)。手作り本体製作費210円グリルも少しサポートしてもちなどを焼く。 途中から車での参加者がちゃんとしたバーベキューグリルや鍋(そして現地では貴重な水のタンク!)を持参してくれて、さらにサンマなどが焼かれ、汁物も作られ、讃岐うどん、ラーメンとバラエティが広がりました。 風の方も落ち着き、焚き火の規模を小さめにすることで延焼の危険性は限りなく小さくなり、潤沢な薪の量にも支えられて、日没時から翌朝6時頃まで燃やし続けることができました。 参加者のうち3名は野宿はせずに離脱。夜2〜3時頃から、参加者は寝袋に入り眠りにはいりはじめ、野宿の装備がなく翌朝バイトのある女性と数名が朝6時頃まで焚き火を続け、女性が帰宅後、就寝。 朝8時ごろ、起床。爽やかな太陽の元で我々は霜だらけでした。寝袋、マット、バックパックなどに霜が付き、ペットボトルの液体は凍り、霜柱が立っていました。腕時計に付いている温度計は最低マイナス5.7度を記録していました。 ゴルフの練習に来る人、釣りに来る人、サバイバルゲームに来る人たちと入れ替わりに我々は川原を後にしました。 参加者の皆さん、ありがとうございました。彷徨者の皆さん、ごめんなさい。 (ウェブログより)
第10回 お花見野宿 2007年4月7日(土)〜4月8日(日) 【会場】 新井薬師公園(東京都中野区) 花見客がいっぱいで場所もないんじゃないかと心配していたところ、大阪から参加してくださったK氏が早めに来て、撤収したグループの後を素早く場所取りしていてくれて、場所を確保できました。 いつものように適当に「なに鍋」ともいえないスープもダシも具もなんでもありのミックス鍋を始めます。ぞろぞろと集まる関係者。 7時ごろから、曇天からぽつぽつと雨が落ちはじめました。最近、野宿野郎の野宿はよく雨にたたられます。大雨ではないけれども無視して飲み食いできるほどの小雨でもなく、最初は体に段ボールやブルーシートをかぶってがんばっていましたが、途中でギブアップ。 幸い、桜祭り開催中で屋台やイベント関係のテント(運動会なんかで使う白い屋根のもの)があり、使っていないのもあったのでその下に移動して続行しました。 参加者は十数人、途中で来た人、帰った人などを含めるとのべ20人以上だったかもしれません。 断続的に降り続く雨で困ったのが野宿場所。移動したテントの下は座っても全員入りきれないほど小さかったのです。しかし、トイレ野宿を推奨し、河原で野火を焚くアナーキスト集団である野宿野郎たちは「野宿学会はもちろん野宿」でも実践された編集長の教えを実行しました。テントの下の数人以外は、桜祭りの特設ステージにもぐり込み、歌手の実演などが行われていたステージの緋毛氈の上にずらりと寝袋を敷き、事無きを得たのです。 え〜と、よだれがたれてたりしたらごめんなさい。 (ウェブログより)
第11回「野宿の日」野宿(5) 2007年6月18日(月)〜6月19日(火) 【会場】 お台場 船の科学館らへん(東京都品川区) 平日なのにも関わらず、総勢、ええっと、いまいち判らないけれども、15人くらいのスバラシイ人たちが野宿したのではないでしょうか。どうなのでしょうか。 そんなわけでみなさま、どうもありがとうございました。 ちゃんと(ほぼ)時間通り8時2分に現地に着いたわたしはそれだけでしてやったり、と大満足だったのですけれども、すでにその前に3人もの人が辺りにたどり着いていたのには、びっくりでした。それで、これはちょっとおかしいのではないか、雨でも降るのではないか、などとおもったわけです。でも降らなかったので、よかった。 そんなわけで、HPの告知をみて来てくださったスバラシイ人たちやら、大学に野宿サークルを作りたい!というスバラシイ学生さん2人やら、ちらほら初参加の方もいらしたりで、三一書房のスバラシイ編集者さんが出来たてほやほやのスバラシイ村上宣寛さんの『野宿大全』を持っていらして、そいで呉れたりで、感動でした。 そうこうしていたら、報告係さんに任命するつもりだった大将氏が0時までにたどり着かなかったりしたのだけれど、学生さんたちがトイレ野宿を決行。初野宿がトイレ、とは幸先がいい2人の「のじゅくの日改め、トイレ野宿報告」に期待大なのであります。最近年齢層と無職率が着々と上昇中の野宿野郎ですが、ここいらで彼らがフレッシュな風をおこしてくれることでしょう、というわけで、報告お待ちしてますよー、お二方。 さて、のじゅくの日の到来を祝ったあとも宴はつづき、ラセッラーマン・安東党首のはねと講座、大将氏の即興シュラフマンテーマソング熱唱などで興奮した参加者(というか特にわたし)の半数ほどは、気づいたら空が明るくなるまで起きており、それからあわてて寝たものの、これは野宿なのか、どうなのか。 よくよく考えると、周りに民家がなく好い野宿環境だったけれども、セレブ野宿をしていた他の定宿者さんたちはいい迷惑だったに違いない。しかし、年に2回の野宿的祝日なのです。どうか多めにみてください。はい、浮かれていたのです。 わたしは反省しております。どうしてわたしは寝なかったのだ、ああ! こんなんじゃあ、野宿野郎失格ではないかっ! (ウェブログより) 2007年9月18日(火)〜9月19日(水) 【会場】 谷中霊園(東京都台東区) ![]() |